復帰摂理歴史の真実 |
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■ 序章
第1節 原理と復帰摂理歴史の再考 1. 復帰基台摂理時代とは 歴史は繰り返すといわれ、原理講論には上図が掲載されています。 ところで、上の歴史発展表示図ですが、3つに区分された最初の 「復帰基台摂理時代」 だけは実線で表記されているのに対して、後の 「復帰摂理時代」 と 「復帰摂理延長時代」 は各時代の名称と期間が明記され、復帰節理としてアブラハム家庭から始まったことを表しています。具体的には、 「復帰基台摂理時代」 の最後の人物が 「ヨセフ」 となっているところから、ヤコブから始まるイスラエル選民としての12子息のひとりであるヨセフが副王に就任するまでが 「復帰基台摂理時代」 とされるのです。 ところで、 「復帰基台摂理時代」 におけるアダムからノアまでの1,600年は、復帰摂理を始める上での家庭的四位基台を構成するための、神による準備期間といえるでしょう。 (1) 信仰と不妊 さて、堕落したアダムとエバの子セツにも男の子 「エノス」 が生まれました。この頃から、これまで神に背を向けていた堕落人間は、漸く神と向き合い 「主」 として迎えるようになりました。(創世記第4章25節〜26節)
それは、アダムから7代目のエノクの時に頂点に達し、その子メトセラが生まれた後300年も神に信仰を捧げますが、この頃にしては大変若くして亡くなっています。 しかし、このエノクを前後として子息の誕生が遅くなっている、つまり、歳を経て子息が誕生していることです。ヤレド162歳、メトセラ187歳、レメク182歳とそれ以前とは倍くらいとなり、ノアのときには500歳でセム、ハム、ヤペテが生まれました。はたして、それぞれの夫や妻に何があったのか、なぜエノクが300年もの間、神とともに歩むようになったのか、また短命であったのかなど疑問に思える箇所があり、ノアの子セムは100歳で、アブラハムの父テラは70歳でアブラハムを、そしてアブラハムは子供を産めない 「うまずめ」 のサライを妻として娶っています。 (2) ノアとアブラハムの家庭
@ 復帰基台摂理時代の意味 さて、前節で述べた内容を簡単に図にしてみました。 エノスが生まれた頃に、人々は主の名を呼びはじめ、その信仰の種がエノクに実ったと考えられますが、その種を芽生えさせる畑は具体的にヤレドの妻のころから徐々に整えられ、ノアが誕生したと考えられます。 アダムの家庭を蕩減復帰すべきノア家庭には、エバの立場を蕩減復帰すべきノアの妻が立てられていました。 次にそこの要点を簡単に整理してみます。 A アベルの挑発とカインの殺害 上記した内容から、アベルは、神様が自分の供え物だけを受けられたので、度を越えて喜び自慢しました。このことがカインの神に対する不満を抱かせ、その矛先をアベルに向けさせたのです。ついにはその怒りを爆発させてアベルを殺害してしまいました。 アベルは、カインが神に対して自分と同じように、あるいはそれ以上に精誠を込めて供え物を神にささげたにもかかわらず、そのカインの神に対する誠意を無視するかのように弟であるアベルは一方的に自慢し喜んだのです。さらに、兄に対する勝者のごとく立ち振る舞ったことによって殺害という引き金を引かせてしまいました。 アベルとしての使命は、供え物を神に取ってもらうことではなく、同じように精誠を込めて神に供え物を捧げた兄としてのカインの心情を後押しして、神に対する心を強く持たせることでした。しかし、アベルはそのことが一寸も目に留まらず自分の喜びだけで回りが見えなくなり舞い上がってしまったのです。 B エバの失敗 さて、アベルはなぜそのようなことをしてしまったのでしょう。その原因は母であるエバにありました。 エバは堕落による恐怖心からアダムと肉的性関係を結んだ結果カインが誕生したのです。そのことによってアダムとエバには新たな問題が起こり、エバはアダムとカインを愛せなくなってしまったのです。しかし、エバはその心を悔い改めて後アベルが誕生しました。エバには愛せるアベルと愛せないカインが誕生したのです。当然エバにはアベルの良いところだけが目につき、カインの悪いところだけが目につきます。結果として、カインを厳しく叱りアベルを褒めて甘やかす傾向があったため、神が供え物を受け取る受け取らないということによって、このような結果を招いてしまったと考えられます。 2. ノア家庭の失敗とアブラハム家庭 (1) 一般的な行為と恥ずかしいと思った心 ノアの家庭で、天幕に裸で寝ていたノアを着物で覆ったことは自然な行為と考えられます。しかし、聖書では、ハムが 「よくないことと考え」 セムとヤペテを扇動したとあります。そのことによって、兄弟たちは顔をそむけて父の裸を見ることができませんでした。それらのことから、 「着物をかけた行為」 が罪になったのではなく、 「裸が良くないことと考えて扇動し顔をそむけた行為」 が罪になったと考えられます。 このこともノアの妻がノアに対してそのように対してきた日常の行動がそのようにハムの心に強く焼き付き、セムもヤペテも同じように思い、顔をそむけたと考えられます。 これは、当時、地が暴虐に満ちていた環境の中で、神の命令に従うということは、世の中からかけ離れた事なので理解できないことであったかもしれません。 ノアは120年間、神の命令に従って山の頂に箱舟を造り続けました。常識としてとても理解できる行為ではありません。たとえ洪水審判が40日40夜、あるいは1年続いたとしても、120年という長い年月に培われたことは簡単に消し去ることはできないのです。ハムにはこれまでの習慣性によって、その天幕での事件を 「よくないこと」 としてとらえたのです。 @ ノアの妻 ノアの妻は夫と行動を共にし、心が通じ合い互いに理解を深めることができませんでした。夫であるノアは、妻にとって神に対する信仰は立派な夫なのですが、世の中に対してはとても恥ずかしい存在だったのです。 A アブラハム家庭での加えられた摂理 さて、ノアの家庭における問題点一つ目は、 「夫婦が同じ心情と神に対する同じ信仰を持つ」 こと。二つ目は、 「愛せないものを如何に愛するか」 、または、 「愛されなくても如何に愛するか」 ということがノア家庭まで解決できない課題として残されました。 アブラハムの時には、アブラムとサライが飢饉を避けてエジプトに寄留したときのパロ宮中での出来事 (創世記12章10節〜20節) 。さらに、同じような出来事がゲラルの王アビメレクのところでもう一度遭遇します (創世記20章) 。 そして、ヤコブの時には、夫ヤコブに愛された妻ラケル (妾の立場) と愛されない妻レア (本妻) がいました。ヤコブはレアよりもラケルを愛しました。しかし、レアはラケル以上に神に信仰を捧げたので子宝に恵まれたのです。その中でもイエスの先祖となるユダの誕生の時には、レアは 「わたしは今、主をほめたたえる」 と最高の賛美と感謝を神に捧げています。
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