復帰摂理歴史の真実
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■ 第二章 ユダヤと失われた10支族
 第二節 イスラエル12支族

1. イスラエル12支族

 (1) 12支族

  @ トーラーと苦難

 モーセがこの律法の言葉を、ことごとく書物に書き終わった時、モーセは主の契約の箱をかつぐレビびとに命じて言った、「この律法の書をとって、あなたがたの神、主の契約の箱のかたわらに置き、その所であなたにむかってあかしをするものとしなさい。わたしはあなたのそむくことと、かたくななこととを知っている。きょう、わたしが生きながらえて、あなたがたと一緒にいる間ですら、あなたがたは主にそむいた。ましてわたしが死んだあとはどんなであろう。あなたがたの部族のすべての長老たちと、つかさたちをわたしのもとに集めなさい。わたしはこれらの言葉を彼らに語り聞かせ、天と地とを呼んで彼らにむかってあかしさせよう。わたしは知っている。わたしが死んだのち、あなたがたは必ず悪い事をして、わたしが命じた道を離れる。そして後の日に災いがあなたがたに臨むであろう。これは主の悪と見られることを行い、あなたがたのすることをもって主を怒らせるからである」。(申命記31章24節〜29節)


 ユダヤ教の聖典 (タナハ : 右図) とは、ユダヤ教の聖書 (ヘブライ語聖書) のことであり、3つに分かれています。
  1. 律法 (トーラー
  2. 預言者 (ネイビーム)
  3. 諸書 (クトビーム)
 特に律法 (トーラー) は、「創世記」 「出エジプト記」 「レビ記」 「民数記」 「申命記」 の五書 (モーセ五書) とされていますが、契約の箱 (聖櫃) には、マナを納めた金の壺アロンの杖十戒を記した石板が収納して、箱に手を触れないように二本の棒で担いで持ち運びました (左図)。
 しかし、モーセはイスラエルの民が自らの思いに頑ななため、主に背いてしまうことの虞を抱いていました。結局、度重なる不信仰が、取り返しのつかない事態を招いてしまうことになるのです。

 また、タルムードとは、ヘブライ語で 「研究」 を意味し、モーセが伝えたもう一つの律法とされる 「口伝律法」 を収めた6部構成、63編から成る文書群です。

 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。(申命記34章7節)


 申命記33章にはイスラエル12支族が記されていますが、レビ族が祭司の一族として特別な役割を与えられ、 継承する土地を持つことが許されなかった (申命記10章9節) ため、レビ族はイスラエル12支族には数えられず、各支族に分かれ、幕屋の奉仕契約の箱の運搬聖所での奉仕に従事しました。
 レビ族の代わりに、ヨセフの子孫であるエフライム族マナセ族が加わり、イスラエル12支族が成立したのです。

<参照>
 レビ族 (新・世界の裏)
 創世記 ヨセフ\




 (2) 幕屋を中心とした摂理

  @ 幕屋と信仰

 その夜、主の言葉がナタンに臨んで言った、行って、わたしのしもべダビデに言いなさい、『主はこう仰せられる。あなたはわたしの住む家を建てようとするのか。わたしはイスラエルの人々をエジプトから導き出した日から今日まで、家に住まわず、天幕をすまいとして歩んできた。わたしがイスラエルのすべての人々と共に歩んだすべての所で、わたしがわたしの民イスラエルを牧することを命じたイスラエルのさばきづかさのひとりに、ひと言でも 「どうしてあなたがたはわたしのために香柏の家を建てないのか」 と、言ったことがあるであろうか』。(サムエル記下7章4節〜7節)


 神は、 “わたしの住む家 (神殿)” を建てるときは “香柏 (レバノンスギ)” で建てることを命じました。レバノンスギは、マツの仲間の針葉樹で、レバノンやトルコの地中海沿岸の山地に主として分布しています。材質はたいへん硬く、かつ腐りにくく芳しい香りを放つことから香柏と呼ばれています。

<参照>
 レバノン杉の栄光と衰退、そして復活の物語A - 安田喜憲教授らの20年

 あなた (ダビデ) が日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子 (ソロモン) を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。彼はわたし (神) の名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となるであろう。もし彼 (ソロモン) が罪を犯すならば、わたしは人のつえと人の子のむちをもって彼を懲らす。しかしわたしはわたしのいつくしみを、わたしがあなたの前から除いたサウルから取り去ったように、彼からは取り去らない。あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる。(サムエル記下7章12節〜16節)


 神殿建設はソロモンの時となりました。しかし、原理講論の 「後編 第三章 第三節 復帰摂理時代を形成する各時代とその年数 (三) 統一王国時代一二〇年 (p456〜p458)」 には、神殿建設を信仰基台の象徴献祭として、サウルとダビデはそれに失敗し、ソロモンのときに成就されたとありますが、内容をよく見るとそうではありません

   a) 会見の幕屋

 モーセは幕屋を取って、これを宿営の外に、宿営を離れて張り、これを会見の幕屋と名づけた。すべて主に伺い事のある者は出て、宿営の外にある会見の幕屋に行った。モーセが出て、幕屋に行く時には、民はみな立ちあがり、モーセが幕屋にはいるまで、おのおのその天幕の入口に立って彼を見送った。モーセが幕屋にはいると、雲の柱が下って幕屋の入口に立った。そして主はモーセと語られた。民はみな幕屋の入口に雲の柱が立つのを見ると、立っておのおの自分の天幕の入口で礼拝した。(出エジプト記33章7節〜10節)


 モーセの持っていた石板は当初二枚 (出エジプト31章18節)。シナイ山から下山し、金の子牛を祭ったイスラエルを見て激怒したモーセは石板を投げつけて、こなごなにしてしまいました (出エジプト32章19節)。しかし、もう一度石板二枚造ることを神に命じられ (出エジプト34章1節)、安息日を定め (出エジプト35章)、幕屋を造り (出エジプト36章)、聖櫃 (アーク) を造って (出エジプト37章)、主と会見するための祭壇を築き天幕を聖所とした幕屋は、正月の元日に燔祭の祭壇を築き聖別しなければならないと定められたのです(出エジプト40章)。
 ところで、神に示された型に従って 「幕屋」 をつくりましたが、これは後のエルサレム神殿の原型となったもので、神殿は幕屋を大きくし、壮麗にしたもので、基本構造は幕屋と同じです。また、日本の神社の基本構造も古代イスラエルの神殿や幕屋を原型としたものです。
 神殿と幕屋は、「聖所」 と 「至聖所」 と呼ばれる二つの場所からなっていますが、日本の神社も、拝殿と本殿 (奥殿) とからなっています。
 古代イスラエルにおいて、聖所 (拝殿) には祭司しか入れず、至聖所 (本殿) は大祭司が年に一度、大贖罪日に入ることができました。日本の神社においては、一般の人々は神社の拝殿の前で祈り、拝殿の中には入れません。拝殿には神官と特別に許された人々のみが入れる場所で、本殿は、一般の人々はもちろん、神官も特別なときに入るのみです (「日本 ・ ユダヤ封印の古代史」 より)。また、拝殿の前には、注連縄 (右図) があり、上記の “モーセが幕屋に入ったとき、雲の柱が下って幕屋の入口に立った” ことを表しています。

<参照>
 日本とヘブライの共通点
 注連縄 〆縄 紙垂 綱は雲柱
 本殿 ・ 拝殿とは - 《神社のアレコレ!》日本人なら知っておきたい豆知識

   b) 聖櫃 (アーク)

 ベザレルはアカシア材の箱を造った。長さは二キュビト半幅は一キュビト半高さは一キュビト半である。純金で、内そとをおおい、その周囲に金の飾り縁を造った。また金の環四つを鋳て、その四すみに取りつけた。すなわち二つの環をこちらの側に、二つの環をあちらの側に取りつけた。またアカシア材のさおを造り、金でこれをおおい、そのさおを箱の側面の環に通して、箱をかつぐようにした。また純金で贖罪所を造った。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半である。また金で二つのケルビムを造った。すなわち、これを打物造りとし、贖罪所の両端に置いた。一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に置いた。すなわちケルビムを贖罪所の一部として、その両端に造った。ケルビムは翼を高く伸べ、その翼で贖罪所をおおい、顔は互いに向かい合った。すなわちケルビムの顔は贖罪所に向かっていた。(出エジプト記37章1節〜9節)
 注意> 聖書において長さの単位であるアマー (約44cm) は、文語訳 ・ 口語訳 ・ 新改約でのキュビトは、新共同訳ではアンマと表記されています。(「ウィキペディア」 より)


 旧約聖書の創世記によると、主なる神はアダムとエバを追放した後、命の木への道を守らせるためにエデンの園の東に回転する炎の剣とともにケルビムを置いたという。また、契約の箱の上にはこの天使を模した金細工が乗せられている。(「ウィキペディア」より)


 聖櫃 (契約の箱) の上には、ケルビム (天使の複数形を現す) が乗せられていました。それは、アダムとエバが堕落したときに、神が “命の木” に至る道にケルビムを置いてそれを守られたことに由来しています。そして、その道はエデンの園の東の方ににあったので、イスラエル民族は東方に対する憧れを持っていました (東方憧憬)。
 また、聖櫃の二つのケルビムは、見えない神様を挟んで置かれているかの様に、贖罪なくして神に対して顔向けできないことを表示しています。
 ところで、聖櫃 (契約の箱) を模倣した日本の御神輿の上には、なぜ “鳳凰” が置かれているのでしょうか。このことに関しては、後ほど詳しく述べることにいたします。

   c) メノラー

 また純金の燭台を造った。すなわち打物造りで燭台を造り、そのを一つに連ねた。また六つの枝をそのわきから出させた。すなわち燭台の三つの枝をこの側から、燭台の三つの枝をかの側から出させた。あめんどうの花の形をした三つの萼が、節と花とをもって、この枝にあり、また、あめんどうの花の形をした三つの萼が、節と花とをもって、かの枝にあり、燭台から出る六つの枝をみなそのようにした。また燭台の幹には、あめんどうの花の形をした四つの萼を、その節と花とをもたせて取り付けた。また二つの枝の下に一つの節を取りつけ、次の二つの枝の下に一つの節を取りつけ、さらに次の二つの枝の下に一つの節を取りつけ、燭台の幹から出る六つの枝に、みなそのようにした。それらの節と枝を一つに連ね、ことごとく純金の打物造りとした。また、それのともしび皿七つと、その芯切りばさみと、芯取り皿とを純金で造った。すなわち純金一タラントをもっうて、燭台とそのすべての器とを造った。(出エジプト記37章17節〜24節)


 メノラー (燭台) に関連する内容として、「伝統」 の第16章7節 「お産のろうそくと使用」 (1) 準備 (p161) に下記の様な記載があります。

 7本立燭台枝付き燭台) か個々の燭台を7個買わなければなりません。

 そして、1節 「意義」 (153p) には、

 原理によれば、祝福の子女は、天的環境に生まれるべきです。復帰の期間においては、彼らは、まだ不浄な天的でない環境に生まれてきます。このろうそくは、祝福の子女が生まれてくる時に、天的な環境をつくり出す条件となります。


 以上のように記載されています。この 「天的環境」 とは目に見える環境のことではなく、燭台の灯火と向き合うことによって、に対する姿勢を整える心を備えることが、「天的な環境をつくり出すこと」 と言えるのです。

 1974年にイスラエルで発行された新聞に、南米でメノラーが発見されたという記事が載っています。
 1587年、イエズス会の宣教師ニコラス・デルツは、スペインから南米に、宣教のため派遣された。デルツはアルゼンチンの周辺地域で、イスラエル人の名前を持つ種族に出会い、彼らに割礼のことを聞くと、「ええ、私たちはみな割礼をしています。先祖の時代からそうしています」 と答えた。彼らはまた、割礼用の石製のナイフも持っていた。
 南米ではさらに、ペルーのインカ遺跡で、「盗むなかれ」 「偽証するなかれ」 「殺すなかれ」 という戒めの刻まれた石板が見つかった。学者は、これはモーセの十戒の一部であって、スペイン人がこの地に来る何百年も前に存在していたものだと述べた。
 また同じ場所で、メノラーの形が刻まれた円形の石板が発見された。その周囲には、アラム語で 「過越」 (パスカ) と記されていた。
 そこから数メートルの所に、舟の絵 (上図:ゼブルン族の紋章) が刻まれた石板も見つかった。その舟には 「チッポラ」 という言葉が記されていた。
 学者は、これは約三〇〇〇年前のものであると考えている。(「日本・ユダヤ封印の古代史」 より)


 この様に、失われたイスラエル10支族は、世界中に伝説としてその痕跡を残しています。

<参照>
 イエスが使った言語



  A ルツ記とサムエル記

   a) ルツ

 『ルツ記』 は、異邦人であるルツがダビデ王にいたる家系の中で重要な役割を果たすことを語ることで、救いの歴史において 「自らの民」 ユダヤ人にとらわれない神の意図の壮大さを語っている。(ウィキペディア


 上記のウィキペディアに記載されている“ユダヤ人にとらわれない神の意図”とは何なのかを次の 「ルツ記」 のページで述べることとします。
 ところで、ユダからダビデに至るルツを通した摂理はもちろんですが、ダビデとバテシバとの間にソロモンが誕生したことは、バテシバの立場に重要な摂理がありました。これは 「統一王国時代 (上)」 で述べることにいたします。
 また、これらのことから、神殿建設の使命的立場からみると確かにサウル王は “アダム” を象徴し、ダビデ王は “イエス (第二アダム)” を象徴し、ソロモン王は “再臨主 (第三アダム)” を象徴していると言えますが、『神殿』 とは何を象徴し、意味していたのかを 「統一王国時代 (下)」 で述べることにいたします。


   b) 預言者サムエル

 この時、イスラエルの長老たちはみな集まってラマにおるサムエルのもとにきて、言った、「あなたは年老い、あなたの子たちはあなたの道を歩まない。今ほかの国々のように、われわれをさばく王を、われわれのために立ててください」。しかし彼らが、「われわれをさばく王を、われわれに与えよ」 と言うのを聞いて、サムエルは喜ばなかった。そしてサムエルが主に祈ると、主はサムエルに言われた、「民が、すべてあなたに言う所の声に聞き従いなさい。彼らが捨てるのはあなたではなく、わたしを捨てて、彼らの上にわたしが王であることを認めないのである。彼らは、わたしがエジプトから連れ上った日から、きょうまで、わたしを捨ててほかの神々に仕え、さまざまの事をわたしにしたように、あなたにもしているのである。今その声に聞き従いなさい。ただし、深く彼らを戒めて、彼らを治める王のならわしを彼らに示さなければならない」。(サムエル記上8章4節〜9節)


 イスラエルの民は、王を立て、王によって国を治めることを望みました。それは、神がその権威によってイスラエル民族の上に王として立つことを認めず、イスラエル民族は、民が認める権力を持った王が立つことを望みました。それは、他国が王制によって強大に見え、それに対して、イスラエル民族は弱小に見えたからに過ぎませんでした。

 サムエルは王を立てることを求める民に主の言葉をことごとく告げて、言った、「あなたがたを治める王のならわしは次のとおりである。彼はあなたがたのむすこを取って、戦車隊に入れ、騎兵とし、自分の戦車の前に走らせるであろう。彼はまたそれを千人の長、五十人の長に任じ、またその地を耕させ、その作物を刈らせ、またその武器と戦車の装備を造らせるであろう。また、あなたがたの娘を取って、香をつくる者とし、料理をする者とし、パンを焼く者とするであろう。また、あなたがたの畑とぶどう畑とオリブ畑の最も良い物を取って、その家来に与え、あなたがたの穀物と、ぶどう畑の十分の一を取って、その役人と家来に与え、また、あなたがたの男女の奴隷および、あなたがたの最も良い牛とろばを取って、自分のために働かせ、また、あなたがたの羊の十分の一を取り、あなたがたは、その奴隷となるであろう。そしてその日あなたがたは自分のために選んだ王のゆえに呼ばわるであろう。しかし主はその日にあなたがたに答えられないであろう」。
 ところが民はサムエルの声に聞き従うことを拒んで言った、「いいえ、われわれを治める王がなければならない。われわれも他の国々のようになり王がわれわれをさばきわれわれを率いてわれわれの戦いにたたかうのである」。サムエルは民の言葉をことごとく聞いて、それを主の耳に告げた。主はサムエルに言われた、「彼らの声に聞き従い、彼らのために王を立てよ」。(サムエル記上8章10節〜22節)


 サムエル (右図) の父はエフライムびとのエルカナ、母はハンナです。ハンナは長きにわたって主がその胎を閉ざしたため子がなく、深く悲しみ、激しく泣いて主に祈って誓いを立てました。こうして、ようやく授かった子がサムエルでした。ハンナは主に感謝し、その誓いのごとく、乳離れしたばかりのサムエルを主に捧げました。こうしてサムエルはシロの祭司エリに仕えるようになると、祭司エリの息子たちは不品行を犯したため、年を経たエリはそれを恥じてサムエルを愛したのです。まだ幼いサムエルは、寝床にあって神の言葉を聞き、成長すると主の預言者として認められるようになったのです。
 サムエルは宗教的指導者 (祭司) かつ政治的民族指導者 (士師) として活躍しました。晩年になって民が王政を望むと、サムエルはその非を説きましたが、聞き入れられず (サムエル記上8章)、サウルを初めての王として建てたのです。イスラエルはサウル王のもとで団結し、周囲の民族と戦ったのですが、神の 「アマレク人を殲滅せよ」 という命令にサウルがそむいたことから、サムエルは密かにダビデに油を注ぎました。



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